ミニマリストここが苦手?嫌い?

生きている限り、永遠に続く「捨てる」。
どこまで捨てれば満足できるのか、時々スランプやストレスを感じながら、目指してきたミニマルライフ。

たくさんのミニマリストさんたちの書籍やWEBをおおいに参考にさせていただきながら、気になったことのいくつか。

服装が制服化

片付けの悩みの筆頭に出てくる衣類。


オバマ元米国大統領、スティーブジョブス、マーク・ザッカーバーグ氏が本業に専念するため、決断の回数を減らす目的で、同じアイテムを着続けたことは有名な話です。

書籍や雑誌で拝見するミニマリストさんたちの本業が何かは、わかったりわからなかったりですが、無地モノクロやベージュ、ネイビー、カーキ、デニムなど無難な可もなく不可もなしのアイテムばかりな人が多い。

服は減らしたいけど、シンプル過ぎるのもつまらない。

モノを増やしたくないでもそこそこおしゃれに見られたいということは実は野望であり、
アイテムを厳選する選択眼、センスが要求される上級スキルなのです。
無難なコーデで包囲してしまえば、目立ちはせずとも、選択に掛ける時間と、の割に冴えない自分のコーデからの解放というメリットが2つ得られるのです。

無難なコーデは無難なコーデしかなく、おしゃれさんではありません。

中学高校の制服と一緒。

でもここで、重要なことは本業に専念するためということ。
仕事でも趣味でも夢でも、そこに集中力を結集させたいのなら、毎日コーデの制服化は実に有効な手段の1つであることは確かです。

とはいえ、それでもなんだかつまらない感が拭えないのです。

強妻の一党支配、トップダウン的なミニマムインテリア

これに関しては私自身が耳が痛いというか、ほぼその通りというか、我が家のインテリア権を牛耳っているのは私です。(-。-)

書籍雑誌で拝見するミニマリストなお宅は、既婚者ならミニマリスト妻が、ほぼ一党強権政治支配的なトップダウンなインテリアになっていることが多いような気がします。

その内情とは…妻以外の家族はインテリア、モノを増やすことを許されず、妻の趣味のもと揃えられる。
もしかしたら…家族にとってはイマイチな環境なのかもしれません。

なぜなら

全てのMENが当てはまるわけではありませんが、MENは部屋が散らかっていようが、少しくらい汚れていようが、トイレ床に尿が飛び散っていようが、あまり気にならない人が多い。

本当はリビングで、寝ながら千手観音のように手を伸ばせば、届くようなモノの配備で何ら問題ないのにもかかわらず、時にそれが床に置いてはいけない飲み物であったりして、つまずいて妻に怒られるという失態を繰り返します。

たまに、家族会議を開き意見交換しましょう。

他にも

小さいお子が3人いても、ほとんどおもちゃがなく、ガランとしたお宅。
お子にとって、何がツボなのか、ツボとなるモノは何なのか、与えてみないとわかりません。
成長過程真っ最中のお子にとって、モノやおもちゃは知育グッズ、情操教育の一環を担っています。

例えば、お世辞にもアートとは言えない園や学校での造作物や、プラレールの線路敷設領域の拡大、あふれかえるブロックピースと、ビルドしまくってスクラップできない製作物。
部屋が片付かないのは嫌だと、親の一存で、与えなかったり、排除してしまうことは少し寂しい。
与えたところで全く興味を示さず、ムダに終わることが多いのが幼少期。

この時期の「捨て」は我慢の忍耐期。必ず不要になる近い将来が訪れます。

耐えましょう。

単身者ミニマリストのモノがなさすぎる潔癖部屋


圧倒的に、中途半端な人が多い今の世の中で、何もない部屋を謳歌している姿は羨ましくもあり、
心配でもあり。
なぜなら、リアルな世界で何か趣味を楽しんだりアクションを起こすとなると、たいてい道具が必要になります。全てがSNSやネット上で完結できる人ばかりではありません。

公開されている、ガランとしたお宅はおおいに刺激になる反面、大丈夫なのか!?
と少し心配になります。

また、自分の住まいには何もなくても、実家においてあったりしませんか?(過去の私です)
本人が、所有しておいて良さそうなものを親兄弟姉妹友人から、レンタルしてませんか?
モノをシェアしてフル活用することはよいことですが、本来、自分が負担すべき費用やスペースを他の誰かに甘えて丸投げしていませんか?

単身、世帯住まい問わず気になってしまうところです。


宗教の経典化?

無趣味であればモノは必要なく、何も買わなくて平気なら、それもよし。
ただ、呪文のように「所有しない」を唱えられると、宗教の経典のように感じてしまうことが少なくありません。

ダイレクトメールだけでも数日放置しただけで、山ができます。
ボケっとしているとあっという間に増える家の中の不要物。

念仏のようなスッキリ、スッキリ、スッキリ、シンプル、シンプル、ミニマム、ミニマム、は励みになる反面なんだか疲れる~と感じるときがあります。

モノは少なくても、物欲1000%で脳内が忙しそう

モノを持たないと言いながら、所有するわずかなモノのクオリティーやコスパやetcのために
モノ探し、モノへのこだわりが強く、モノが少なくても、頭の中は比較検索モノ探しフル回転なんだろうな、と感じるミニマリストさんがいます。
捨てるより、買う方が簡単と言いますが、物欲からの解放もミニマム生活の大きな目標だと思うのです。部屋がガランとしていても、物欲検索エンジンが脳内をフル回転している状態はあまり好ましい状況ではないように思います。

自分とのギャップをすり合わせよう

結局何がいいたいかと言いますと、極端なミニマリストさんが展開するミニマル部屋と自分部屋の煩雑度のギャップがなかなか埋まらなくて、ストレスになる時がある、ということ。

極端な何もないようなお部屋だかたこそ、書籍になる。
極端じゃないと売れないと思うのです。
ガランとした、圧倒的にモノが少ない室内ミニマリストの画像でないと、求められている予定調和が満たされない。
その圧倒的な何もない度が頭に焼き付いてしまう。
自分の家とのギャップにモヤモヤを感じ、片付けのモチベーションになりながらも、モヤモヤの源にもなりうるわけです。

何もないお部屋はリビングだけかもしれない。
何もかも処分してしまいたいような人生の転換期にきているのかもしれない。

やみくもに参考にするのだけではなく、同じような家族構成、境遇、バックグラウンドを想像妄想して、共感しながら、楽しく捨て活することが大事なのだということがわかります。

捨てることが目的ではありません。

あなたがミニマリスト本を出版したいのであれば集中的に捨てと精査に取り組み、そうでないのであればほどほどゆるくで十分なのです。

なかなか片付かない~と
捨て活疲れに陥ってしまった場合はお休みして大丈夫ですよ。

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